歳の差バレンタイン 前編
この街に転勤してからもう一年が経つ。
俺は毎朝、この大きなグランドの横にあるバス停から会社に通勤している。
でも、実はこのバス停は家から二番目に近いバス停であり、最寄りのバス停ではない。
なんでわざわざ一つ先のバス停を使用しているのかというと理由はあれだー
男の目線の先には、一人の運動着姿の少年の姿がある。
少年は近所の学校に通う生徒であり、何故か毎朝グラウンドの周りを走っているのだ。
加えて自前の服なのか、少年の下半身はいつも決まってスパッツ姿であり、それは冬でも変わらない。
少年好きの男は、その自主トレーニングしているスパッツ少年を見るためにわざわざ家から遠いバス停を使用してるのだ。
(今日も可愛いな…去年から居るけど何年生なんだろう?)
男は通りの奥から息を切らせて走ってくる少年を凝視する。
いつもはバスが来るまでグラウンドの周りを周回する少年の姿を堪能していた男だが、その日はいつもと違っていた。
何故か少年の走るペースがどんどん落ちていき、男の近くで足を止めたのだ。
(どうしたんだ?今日はもう終わりか?珍しいな…バスに乗るのか…いや、荷物も無さそうだしな…)
いつもと違う少年の挙動を不審に思う男。
だが、その直後に予期せぬ事態が発生する。
「お兄さん…コレ…あげるよ…」
「えっ?」
「バレンタインだから…」
「はえっ!?」
なんと、少年は男の方にゆっくり歩み寄ると、恥ずかしそうに目線を逸らしながら、初対面の男にいきなりチョコを手渡してきた。
そんな意味不明な状況に困惑する男。
「ちょ、ちょっと待って…急にどうしたの?確かに今日は2月14日だけど…???」
「…僕、気がついてたよ…お兄さんずっと僕のこと毎朝見てたでしょ?」
「えっ!?な、なにを急に…見てなんて…」
「じゃ、どうして家から遠いバス停使ってるの?僕に会いたくてこのバス停まで来てたんでしょ?」
まさかの少年の指摘に、内心では慌てふためく男。
バス停のことについても何故かバレていたが、証拠があるわけでもないためしらを切り通すことにする。
「さっきから何を…大人をからかうんじゃない!」
「ふーん、じゃコレ要らないんだ…お兄さんは絶対僕のこと見てると思ってたんだけどな〜」
「……違う…チョコもいいから…」
ホントは折角のチャンスだから、もっと話をしてみたいと思っていたが、どうにもこの少年は怪しい…俺はとにかく見ていたことを否定し続け、チョコの受け取りも拒否した。
「あっそ…バイバイ!」
すると、男に拒絶された少年は不貞腐れてしまい、そのままプイっと向きを変えて走り去ってしまう。
男は一瞬だけ少年を呼び止めようとするが、すぐに思いとどまって少年に背を向けた。
(ダメだ!ここで声をかけたら…)
その直後、男の身体に何かが投げつけられ、男の後頭部に何かがあたる。
「痛っ!!」
後頭部にぶつかったソレは、コトっと音を立てて地面に落ちる。
「なんだ!?あの子か???…コレは…」
男の足元に転がっていたのは、少年が持っていたチョコの赤い包みだった。
どうやら少年は、去り際に男に向かってチョコを投げつけたのだ。
「たく、乱暴だな…しかし…うーむ…」
床に転がったチョコを見て、拾うべきか悩む男。
するとその直後、通勤で利用しているバスが到着。
「おっと……あークソ!…ええぇい!」
なんと男は、バスに乗り込む際にチョコを拾い上げてしまう。
バレンタインにチョコレートなど久しく貰っていなかった男は、ついつい誘惑に負けてそれを咄嗟に手に取ってしまった。
しかも、ずっと一年近く見守ってきた片想いの相手からのチョコ……本当はあの時、男は直接受け取りたかったのだ。
「はぁ、ついつい拾ってしまった…」
男はチョコを拾ったことを後悔しながらも、それを見つめながら人気のない車内を進み、バスの一番奥の座席に座る。
男の住む地域は住宅街から離れており、まだバスの中はガラガラであり貸切状態だ。
男はそんな状況を利用して、コソコソとチョコの中身を確認する。
「これは……まぁそうだよな…」
赤い包みを剥がすと、中からは既製品のチョコが出てきた。
しかも、スーパーなどで売られている板チョコだ。
自分も料理ができる訳ではないが、どうせなら手作りが良かったなと贅沢に嘆く男。
だが、板チョコとは別に包みの中にはメモも入っていた。
「なんだこれ…!?これって…」
それは、チャットアプリのIDが記載されたメモであり、それを見た男は驚く。
そして、メモには続けてこう記載してあった。
「ずっとお兄さんのことが好きでした。僕と付き合ってください。あと、OKならメッセください!」
「マジか…」
メモの内容を見て驚く男。
まさかの逆告白を少年にされてしまったのだ。
その内容を読んで思わず笑みを浮かべる男。
だが、そのままアプリを使って連絡するのは流石に躊躇してしまい、すぐに連絡をしようとはしなかった。
それは、そのアプリが特性として個人情報の登録などが必死であることが問題だった。
IDを入れて登録すると、互いの個人情報が丸わかりになってしまうのだ。
前向きに考えると、少年は純粋であり、後ろ向きに考えれば危険な罠の可能性もある。
そして、そうこうしているウチに住宅地に入り、バスは満員になってしまったことで、男は連絡することを止める。
(今はやめておこう…万一にも覗き見されたら嫌だしな…また後で考えればいいさ)
だが、勤め先の会社でも同じ理由で連絡するのを躊躇い、結局帰宅するまで男は少年に連絡することは無かった。
「ふぅ、結局日中は連絡できなかったな…どうしよう」
自宅のマンションにあるリビングのソファでくつろぎながら、ジッと貰ったメモを見つめる男。
帰宅してからも連絡することを躊躇い、その日は結局寝るまでそのメモと睨めっこし、気がついたら朝になっていた。
「ハッ!?ヤバイ…あのまま寝ちゃったんだ…クソ」
ソファで寝落ちしてしまった男は、急いで出勤の準備を始める。
幸いにもまだ時間に余裕があり、身支度と朝食を済ませると、男はいつもと同じように家を出た。
「はぁ…急に行かなくなるもヘンだしな…」
昨日、少年に指摘されたことを思い出し、グランド前のバス停を利用すべきか悩む男。
だが、ここで行くのをやめた方が逆に怪しいと思った男は、いつも通りのバス停に向かうことに。
「さて、そろそろかな…」
バス停に着くと、無意識に通りの奥に視線を送る男。
その行為は日課になっており、一日の始めはスパッツ姿の少年を拝むことで始まっていたのだ。
だが、その日は幾度待てど少年が現れることはなかった。
「あれ…風邪かな…一日も欠かしたことはないと思うけど…」
結局その日、少年が現れることはなかった。
あわよくば、直接昨日の話をできるかと思っていた男だが、アテが外れてしまう。
それは次の日も、その次の日も同じであり、あの告白の日から少年がグランドに現れることが無くなってしまったのだ。
その間、男もアプリで連絡を取ろうか悩むが、日が経てば経つほどそれは難しくなっていた。
「…あぁ…決心がつかない…こんなことになるなら、拾った日に軽く連絡しておけば…でも、罠だったらと思うと…ぐぬぬ…よりにもよってあのアプリ捨て垢とか作れないしな」
気持ちが冷静になり、デメリットのことばかりを気にするようになっていた男。
だが、もう一度だけ少年に会いたい気持ちもあり、遠巻きからでも拝めないかと考える。
そしてその週末、男は僅かな望みをかけ、平日にしか行かないグランドへ足を運んだ。